――― 世界の果てには神様がいるのだと、いつだったか母は言っていた。
その頃の俺は何ともませた餓鬼で、欲しいものを「欲しい」と言えずただ目を逸らし続けているような、そんな子供だった。
神様なんていない。 いる訳がない。
なら、何故母さんの隣には父さんがいないんだ。
巡っても巡っても浮かんでくることはない、父の顔。
閉じた瞼の裏に消えるのは、いつだってあの男の去っていく背中だけだった。
なぁ。どうして、母さんはあんな奴と結婚したんだ。好きだ、なんて思ったんだ。
どれだけ母さんがその傷を必死で乗り越えようとしたのかは、想像もつかない。
「ごめんね」ととても寂しそうに微笑んだあの表情だけは、一生忘れないだろうと幼心に思った。
だから、あんな恋愛は ――― 恋愛だけは、しないと決めたんだ。
そう、思って、いたのに。
「………夢、か」
耳に差し込んだイヤホンからは、相変わらず協奏曲が流れ続けていた。
つい二ヶ月ほど前に録音された、まだ世の中には出回っていない貴重な音源の。
俺が、……俺と『あいつ』が、ようやく一緒に一歩を進めた、あの日の。
――― 最高デス!こんなに、音楽って楽しいって事を忘れてたような気がしマス。
晴れやかな笑顔が今も忘れられない。俺は、その笑顔を守っていこうと決めたんだ。
俺だけが、護っていきたいと。
ぼんやりとした視界を覆いつくしているのは、何処までも白い世界だった。
まだ寝てるんだろうか。
そう考えて、あぁ違うとぼんやり突っ込んだ。
ここは、家だ。リビングのソファに総譜を抱えたまま、いつの間にか横になっていたらしい。
カーテンは開け放たれて、窓も全開になっている。
かろうじて、最近は小春日和を感じ始めるばかりになったというのに。
第一、泥棒が入ってきたらどーするんだ。無防備にも程があるだろ。
………でも、ま。いっか。
同居人は何処かへ出掛けたのか、家の中に気配は感じられない。
いつもは贅沢な演奏会よろしく家中に響く、柔らかい包み込むような音も聴こえない。
気分もいいし。もう一眠りするか。
陽の光を遮ろうと左手を上げると、キラリと視界で何かが光った。
それに安心したような笑みを浮かべて、俺は再び春眠を貪るために意識を手放した。
浮かび上がる白は、何処までも、何処までも澄んで。