tutti 番外篇  fill in


 
「全く…酔い潰れたら誰が世話するって言うんだよ……」
 のだめから酒を奪った後、団体の輪から外れ一人煙草を吸いに外に出た。
 ……久しぶりののだめとの共演。あんなに素晴らしい拍手をもらえたなんて。未だ、思い返すと鳥肌が立つ。のだめと、俺の音を認めてもらえた瞬間。
 目を閉じて満ち足りた空間に、はっきりいってご遠慮したい気配が近づいてきた。
───やぁ、千秋くん。奇遇だねぇ」
 何が奇遇だ、この野郎。眉間に皺を刻むことでそう叫びたいのを何とか堪えた。

「……松田、さん」
 同じように煙草をくわえて、ひらひらと手を振る松田を振り返る千秋。
「こんな所でのんびりしてていいの? 彼女、さっき王様ゲームに参加させられそーになってたよ」
「なっ…! あいつら…!!」
 人がいないといい気になりやがって。慌てて店へと戻ろうとする千秋に「そういえば」と松田が声をかけた。ぴたり、と足が止まってしまう。何だって、こんなにいちいち反応するんだろう。答えてやる義理だってないのに。魔法でも使ってるんじゃないだろーな?───いや、もはや魔術の域か。
「今日の演奏、……久しぶりに楽しかった」
「………………どうも」
 演奏を誉められて(しかも、先輩でもあるこの人に)悪い気はしない。が、問題はここからだ。
「あんな隠し玉を持ってたなんてね。…指揮者、千秋真一が唯一認めたピアニスト」
「………」
 ほら、来た。千秋の眉間の皺は無意識に深くなる。
 申し訳ないが、今は余計な事を考えたくはなかった。理由は……痛い程理解しているつもりだ。だから、余計な事を言われたくはなかったのに。
 んな怖い顔すんなよ。松田が苦笑する。あんただって、俺が今何を押し込めようか分かってるくせに。
「いくら言われようと、何しようと……譲りませんからね」
「何だ、やっぱ独占欲強いねー」
 くっくっく、と楽しそうに笑う松田に、頬が熱くなる。でもさ、と松田の顔が曇った。
 ……やめてくれ。本能が警鐘を鳴らす。

───あの子の音楽が皆のものになる……それを恐れたことはないの?」
 千秋な表情が固まる。何でもないように返そうとしたのに、言葉は喉に貼り付いて発せられることはなかった。

 何度も考えた。いずれプロになれば、千秋以外のオケとも共演することになるだろう。何度も考え、自分の中で納得して……いや、納得したことなんて一度もないかもしれない。無理矢理自分で自分を抑えた。納得させていたつもりだった。

 ───悔しい。それが、本音。

 のだめの本当の『音』を引き出せるのは自分だと思っていた。でも今日の舞台でののだめの音は、今まで聴いたことのないものだった。
 峰や真澄には強気な発言をしたが、一番驚いていたのは千秋自身だった。
 昨日あんなことがあったから大丈夫だろうか、と内心不安だった。それを吹き飛ばすかのような、のだめのピアノ。
 身震いした。のだめを引き上げる? 馬鹿言うな。のだめは自分で階段を登って来たんじゃないか。いつだって。壁にぶち当たった時も、俺を追いかけようと決意した時も。誰かの、自分だけのものじゃない「音楽」になっていく。
 ……俺の部屋で自由に奏でていたピアノじゃなくなっていくような気がして。
「…今日、音楽家としてあの子の演奏を聴いたよ。久しぶりに鳥肌が立った」
 やめろ。それ以上、言うな。
「これからもどんどん進化していくんだろうね……楽しみだよ。いつか俺のオケと…」
───松田さん!」
 ふぅ、と呆れたようにため息をつく松田。紫煙がゆらゆらと立ち上る。
「……だからお子ちゃまだって言うんだよ」
「…………」
 ゴールデンペアになるんだろ?さっき、あの子が言ってたよ。
「妥協はしない。今日のあの演奏で満足してちゃいけないって…もっと、上を目指さなきゃいけないって。───それは、お前も一緒なんじゃないの?」
 ここで、あの子のピアノに振り回されてる暇なんか、あるの?
「このままじゃ、簡単にあの子に越されるよ? 千秋くん。君、誰かに越されて黙ってられるよーなタイプじゃないでしょ?」
 千秋の目に光が灯る。
「……当たり前ですよ。俺が、アイツを…見つけたんだ」
 ゴミ溜めの中で。それでもアイツのピアノは輝いてた。
 目を奪われた。耳を疑った。五感全てを持っていかれたのは初めてで。
「俺があいつに越されるなんてこと、簡単には許さない。粘って粘って、あいつが認められるまで越されるつもりはない」

『それまで良い踏み台になって下サイ♪』───冗談じゃねぇ。踏まれてたまるか。

 せいぜい抗わせてもらう。誰が認めても、俺が「超された」と認めない限りコンチェルトなんかしない。
「それでこそ黒王子♪ 鬼指揮者だねぇ」
 悔しそうに千秋が松田を振り返る。
「……何かすっげぇ嫌ですけど、むちゃくちゃ納得したくないですけど…ありがとうございます」
「……んー、感謝された気が全くしないけど…まぁ、いいや」
 ───ところで、王様ゲームはいいの?
 ふと思い出したように店へと目を向ける千秋。「ぎゃぼー!」と彼女の奇声が聞こえる。慌てて店へと乗り込んでいく千秋の背中を見上げながら、松田は煙草を取り出した。
「全く……青春だねぇ」
 俺も、何やってんだか。ライバルであり、後輩である彼を励ますなんて。
「俺、こーゆうタイプじゃないんだけどね」
 思わず苦笑してしまう。それでも、彼女の言葉が音楽家として心に響いたから。
 彼に、こんな所で立ち止まって欲しくないだけ。そう、きっと……それだけ。

 ───彼らの『絆』が羨ましい、だなんて思っちゃいない。

「俺のエリーザベトはまだ起きてるかねぇ……」
 ポケットから出した携帯のディスプレイが暗闇に映えた



 
fill in … 即興的なバック・グラウンド。
此処にも一人、魔法にかかった魔法使いがいる。
 


 

 
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