tutti  cadenza


 
 昨日も飲み会やったじゃねーかよ、と渋る千秋を何とか説き伏せ打ち上げを裏軒でやることになった。
 無礼講が俺達のモットーだから、R☆Sのメンバーだけを集めて小さな(でも規模だけはデカイ)宴会場を整える。
 意地でも帰ろうとする千秋は、「のだめ、昨日パーティー出られなかったから今日は皆とおしゃべりしたいデス〜」の一言で首を縦に振ってもらうことにした。

 裏軒、ということでR☆Sの面々には「遠慮」という名の二文字は存在しない。打ち上げが開始されてから30分もしないうちに、そこはもはや酒池肉林・弱肉強食の世界と変わり果てていた。頼みにしていた黒木はあっという間に潰され、清良はワインに囲まれ恍惚の顔を浮かべているし、萌と薫は「恋のGカップ」を熱唱している。

 ……初めてこのメンバーで飲んだときも凄まじかったが、これはそれ以上じゃないだろうか…?

 ビールを片手に千秋の眉間には皺が寄る。相変わらず意気投合している仲間はまさに「無礼講」を満喫していた。そんな中、ビール配りに徹していたのだめがR☆Sメンバーに捕まる。今日の演奏でのだめの評価がかなり上がったのだろう、ある意味R☆Sの中で「特別扱い」されているような気がする。第一、あののだめは「千秋真一が認めたピアニスト」という意識が少なくとも彼らの中にはある。
 先程から大してビールも減っていないのにも関わらず、「のだめちゃ〜ん」と何度呼ばれたことか。
 さらに千秋の眉間には皺が寄せられる。のだめに向かって手招きをしている……あいつは確か、ホルンの……。
 ああ、こら。そんな笑顔を振り撒くなよ。頼むからその良妻スマイルはやめてくれ。っていうか、やっぱりその服は短いだろ! ほら、そんなに屈むと中が見えるだろ! ………ていうか、俺も一人で何を言ってんだか。
 頭痛を抱えながら視線はのだめを追っている。……ここまで来ると末期症状だろうか。嫉妬、だなんて。
「ぎゃぼ! 何デスか?」
 背後から取られた腕にのだめが驚いた表情で振り返る。千秋のオーラがぴくり、と動く。近くで飲んでいた清良と峰がちらり、と振り返った。
 ああ、まずいぞ。そんな目をしている。……うるせぇ、ほっとけ。
「のだめちゃん、さっきから全然飲んでないでしょ?! ほら、飲みなって〜」
「あー、あのデスね…のだめは……」
 ビールが並々と注がれたジョッキを押し付けられそうになっていたのだめをひょい、と抱えあげたのは千秋だった。
「むきゃ! ……真一くん?!」
「お前酒弱いんだから飲むなって言ってんだろ?!」
「まだ飲んでマセンよー!」
「千秋、過保護……」
 ぽつり、と呟いた峰に足蹴りを一発お見舞いしてやる。「馬鹿…」と清良が峰を哀れな目で見ていた。
「うっせぇ! とにかく、のだめは酒を飲むな! お前らも飲ますな! 分かったか!!」
「あれ…先輩? 何処に?」
 玄関に向かう千秋にのだめが問いかけると、「外!」という怒鳴り声とドアがぴしゃりと閉まる音が重なった。

「のーだーめーちゃ〜ん」
 ドアから視線を引き剥がすと、萌と薫がニコニコ笑顔で近づいてきた。
「お疲れさま〜のだめちゃん、すっごく素敵な演奏だったー」
「ホント、感動しちゃった!」
 直に言われるのは初めてだった。思わず素でにやけそうになってしまう。嬉しそうに笑ったのだめは「ありがとデス」と答えた。
「…でも、のだめ……もっともっと勉強しなきゃ、デス」
 え……こんなに上手いのに?! 薫の声に、しん…とR☆Sのメンバーは視線をそちらに向ける。ちらり、と面白そうに目を向けたのは松田。
「こんな演奏で満足してちゃいけないんデス。のだめも、…先輩も」

 だって、のだめ達には「ゴールデンペアになる」っていう目標があるから。だから、こんな所で立ち止まってなんかいられない。
 世界を認めさせるには、常に上を目指して。貪欲なまでに音楽を求めて。そうしなきゃ、手に入らない。
 一人や二人が「好き」って言ってくれるだけじゃ駄目。何も語らずとも、認めるまでの力を持たなければ。

「先輩も、のだめも……音楽については対等でいたいんデス。私生活以上に。妥協はしたくないんデスよ」
 だから、のだめは早く先輩に追いつかなきゃ。……昨日は、あんな恥かしい所見せちゃったんデスけどね。
 苦笑するのだめに峰が勢いよく抱きつく。「ぎゃぼー!」とのだめは前のめりに倒れこんだ。
「やっぱ、お前らはそうでなきゃなー!!!」
「もー、峰くん、いきなり何デスか?!」
「いいかー、のだめ! ゴールデンペアの名前を手に入れる時は俺達と一緒に演奏するんだぞ!」
 浮気なんか許さねぇからな! だから、それまでの実力をつけてこい!!
「…………」
 しばし目を見開いてその言葉を反芻する。うっすらとのだめの目に涙が浮かぶ。
「…ハイ! 頑張りマス!!!」

 ―――皆と一緒に一つの音楽を作り上げるということが。
 こんなにも嬉しくて、楽しくて、素晴らしいものなのだと、教えてくれた。
 ねぇ、先輩。のだめ、頑張りマスね。



「おーっし! んじゃ王様ゲームやるぞ!!」
 その後しばらく皆で抱き付き合ったり、飲みあった後唐突に峰が叫びだした。もはや悪酔いの域に達しているR☆Sのメンバーは「おー」だの「いいぞー」だの声を張り上げている。
「ぎゃぼ! 王様ゲームですか?!」
 千秋が聞いたら怒りそう。いや、絶対怒る。怒らないハズがない。
 その場から逃げようとしたのだめをがしっと捕まえ、峰は珍しく不敵な笑みを浮かべた。その口が開いた瞬間。
―――お前ら……何してる?」
 店内が氷河期に突入したかのように凍りつく。のだめの肩を掴んだまま、峰は今度こそ固まった。一人だけ、場の空気が読めていないのだめがニッコリ笑顔を浮かべる。
「…先輩!」
「ち…あき、さん……」
「峰……、どうやら地獄を見たいようだな……?」
「えっ…ちょ、ま…ぎゃあぁああぁあぁぁぁ!!!!!」

 その後精神的に(やや身体的にも)重症を負った峰の見送りによって、打ち上げは強制終了となった。
「じゃあ…また一緒に演奏しましょうね、千秋様」
「ああ」
「のだめちゃん、応援してるからね!」
「ハイ!」
 お互い手を振って萌と薫と別れる。次の交差点で、真澄とも別れる。そこまでの道のりをゆっくり歩きながら真澄は涙でボロボロの顔を千秋に向ける。
「明日、帰ってしまわれるんですね……千秋様。見送りに行けなくて残念ですわ」
「いや……大丈夫だから」
 未だ飛行機が苦手な千秋にとっては見送りなんか来て欲しくはない。丁重に断る姿に、のだめは思わず笑ってしまい千秋に一発お見舞いされた。
「じゃあ、この辺で。また、共演出来るのを楽しみにしてますわ」
「そうだな…俺も楽しみにしてるよ」
「それから―――のだめ」
 真澄の視線がのだめに移る。
「のだめの『覚悟』……しっかり受け取ったわ。ま、頑張りなさいよ」
「……ハイ。頑張りマス」
 覚悟? 何の話だ? 首をかしげる千秋に、のだめが「ふふふん」と笑う。
「のだめと真澄ちゃんの女の子同士の秘密デス!」
「いや、約一名女じゃねーだろ……」


「何か……あっという間の一週間でしたね」
 のだめの呟きに「そうだな」とぼんやり答える千秋。
「何か一ヶ月くらい頑張った気がしマスー」
「何だ、こんなんでバテてんのか? お前」
「まっさかー! まだまだいけますよ♪ これも、ゴールデンペアになるための修行デスから!」
 休暇後は、再び馬車馬のようにスケジュールが埋まっている千秋。帰ったらすぐにスウェーデンに向かわなければならない。
 二人きりだし、と自分の中で必死に言い訳を思い浮かべながら手を繋ぐ。少し驚いた様子で、のだめも手を握り返してくる。
「いつか……絶対、ゴールデンペアになろうな」
「ハイ! 認めさせてやりましょ!」

 まだまだやらなきゃいけないことがいっぱいで。正直、今自分に出来ることをこなすのが精一杯だけど。
 いつかまた立ち止まる時が、きっと来る。自分の音楽を見失う日が来るかもしれない。
 それでも千秋となら―――のだめとなら、絶対叶えられる……そんな確信が心の中にあった。
 俺達が望んだ未来、それ故の不安、そのための覚悟。大丈夫、俺達は音楽で繋がってる。
 俺達の『絆』は決して途切れることはないから。

「そうだ、お家に帰ったらピアノ弾きましょ!」
「またか? さっき演奏したばっかだってのに……」
 いいじゃないデスかー、ね、弾きましょ? 数歩先に駆けていくのだめが振り返った。
「しょーがねぇな…」
 今日だけだぞ。面倒くさそうに返していても、千秋の表情は柔らかい。
 やったー! と駆け回るのだめを追いかけようと、明るい月明かりの下、千秋はその一歩を踏み出した。



 
cadenza … 協奏曲のエンディング部分に演奏されるアドリブ風のソロ。
そうやって歩いていく。それが、私達の「絆」と「覚悟」。
 


 

 
inserted by FC2 system