「ふおぉぉ? のだめに、依頼?」
峰の手紙の件をのだめに伝えると、案の定間抜けな顔でのだめは俺を凝視した。
あやうくソファの上にキャラメルプリンとスプーンを落としそうになり、慌ててそれを支える。
―――そりゃ、そうだ。俺だって、それぐらいの衝撃を受けた。
フランスに来た頃より伸びた髪は、肩の下でゆるやかに揺れている。
無事に行けば来年コンセルヴァトワールを卒業するのだめは、試験の曲の完成に尽力していた。
何だかんだといって、のだめの才能は開花してきたように思えるし、日本にいた時に比べれば格段に成長している。まぁ……初見が苦手なのは相変わらずだが、その実力をオクレール先生はじめ認めてくれる人が増えてきた。まだまだ無名の学生だけれど、これまでに何度か出たコンクールではかなりの成績を収めている。
ぶっちゃけ、ほとんどが一位のようなものだ。
エリーゼは今から事務所にのだめを引き入れようと画策してるし(その時、犠牲になるのはきっと俺だろう)、母さんものだめの本格プロデビューについて最近話に出すことが多くなった。
こういう時に、月日を感じる。
のだめも、俺も……少しは成長出来ている、と思う。それを決めるのは俺達自身ではないけれど。
「むきゃ! 黒木くん達も一緒にオケするんデスか?」
峰の手紙を見ながらのだめが口を開く。ネクタイを緩めながら、俺はビール片手にのだめの隣りに座った。
「そ。ジジイも乗り気みたいで、薦めてくるから……ま、受けないこともないけどな」
むふふ、とのだめの悪戯っぽい視線とぶつかる。
「素直じゃないデスね〜楽しみなら、楽しみって言えばいいのに」
「……うるせ」
「それより……理事長効果は抜群デスね。ミルヒーも一緒に行くんデスか?」
いや、と視線を巡らせる。半年先まで決まっているジジイのスケジュールを頭に思い浮かべた。
「多分その頃はスイスで客演が入ってるハズだから……無理だろ」
ふぅん、とプリンを食べ終わったのだめが封筒から厚い書類を引っ張り出す。スケジュールや、会場についての詳細事項……オケの演奏者としてより、本格的に事務の仕事をした方が適性が良いんじゃねーか? 峰。
「ふわぉ。清良サンとか留学組は個人演奏もするんデスね! 黒木クンは何演奏するのかな」
でも…、とのだめは顔を曇らせる。
「のだめが…出てもいいんデスかね?」
「どういう意味だ?」
口を尖らせて、のだめは「だって」と呟く。
「のだめ、まだ学生だし…このコンサト、お金取るんデショ?」
「…そういうと思った」
え? どういうコトですか? とのだめが首をかしげる。
「帰る時に峰に電話して、のだめの演奏は金を取らないようにしてくれって頼んでおいた。ま、のだめや留学組の個人演奏は最終日にあるし、皆まだ学生の立場だからな。金を取るかどうかは悩んでたらしい。だから個人演奏は野外とかで金を取らない方式で進めるらしい」
「せんぱ…のだめの、ために?」
う、目がキラキラしてやがる。これ以上突っ込まれないうちに退散しなければ。
「……とにかく! これで、問題解決だろ! 曲目とか決めとけよ」
「ハイ! ……でも、何でのだめなんでしょう?」
のだめはR☆Sに大きく関わってた訳でも、名が売れているピアニストでもない。いくら無料だからといって、自分がコンサートに招かれる理由が分からないのだろう。
「佐久間さんが、たまにお前の記事を載せてる。そのおかげで、日本に今から「のだめファン」がいるらしいぞ…表立ったコンクールで何度か優勝しただろ? あれの度に載っけてるらしーから」
ほら、飯食うぞ。とのだめをソファから追い立てる。
話は後でゆっくりすればいい。きっと、今全部言うときっとこいつはパニックになるだろうから。
頭の中で峰と話した内容が蘇る。
―――んーじゃあさ、千秋。のだめは余興担当でいいからさ、お前ら共演してくんね?
―――……は? 共演? ピアコンってことか?
―――違ぇよ! 千秋も楽器弾いてさ。俺らも聞いたことないし。……お前らの、仲良し加減を大いに披露してくれ♪
―――断る。
―――だー!! 何でだよ?! いいじゃねぇか、余興なんだから! それに、のだめも喜ぶだろ?
……共演、ねぇ。俺、一応指揮者なんだけど。それ、分かってんのか? 峰。
でも、楽しそうだと感じる自分もいる。…全く、俺様な俺はどこに行ったんだ…。
のだめとの共演。もしかして人前で演奏するのは、これが初めてになるんだろーか?
「お皿〜!」とニコニコ笑顔ののだめを振り返る。
俺達には、俺達にしか作り出せない最高の音楽がある。それを、見せてやる自信は、ある。
……峰の誘いに乗ってやるか。
それから一週間も経たないうちに、俺は清良や菊池、黒木くんとも連絡をとるようになり以前日本でやった曲をもう一度することになった。のだめの曲目はまだ聞いていないが…試験の曲と合わせて、オクレール先生にアドバイスを聞いているらしい。
練習に、勉強にととにかく時間足りない日々を過ごしていると、あっという間に暖かな春は過ぎ、初夏の風が吹き始めていた。