tutti  passage


 
 「大切な親友のために迎えに行く」という、峰の提案を丁重に断った。
 空港に降り立ってもしばらくはのだめに抱きついていて。
 そんな俺様を見せられる訳がない、と思いつつものだめに触れていられることが何となく嬉しかった。

 「やっぱり地上にいる時はカズオ…」と呟くのだめを軽く無視して、俺とのだめはR☆Sの臨時練習所となっている桃が丘に向かっていた。ここなら遠慮なく練習室を使うことが出来るし、何よりのだめの状況も把握出来る。本来の生活圏内に戻った俺は、タクシーの中で総譜を広げる。
「またオベンキョ、ですか?」
「…飛行機の中では出来なかったからな」
―――そうデスね。今日は結構揺れたから……ぎゃぼ!」
 ニヤリ、と笑ったのだめの頭をはたいた。小気味良い音が車内に響く。

 大学の正門をくぐると、すぐさま懐かしい顔ぶれが目に入った。
「千秋ー! 久しぶりだな!」
「千秋様! お待ちしておりましたわー♪」
 今日は平日で、変わらぬ日常と同じように構内には一般の学生もいる。…あいつらは、きっとそのことが頭から抜け落ちているのだろう。案の定、こちらをちらちらと不審気に見つめてくる視線をいくつか感じ、眩暈に襲われた。
「むきゃ! 峰くん、真澄ちゃん、お久しぶりデス〜」
「よう、のだめ! 久しぶりだな」
「何ちゃっかり千秋様と一緒に登場してるのよ、小娘!」
 数歩先で再会を喜び合っているのだめの笑顔に、まぁ仕方ないかと思ってしまう俺は相当まいっているのだと思う。……それが夏の暑さに、ではなくのだめに、と認めているというのが現実な訳で。のだめの肩に手を置いて何やら力説している峰から、さり気なくのだめを引き離す。ちらり、と寄越した二つの視線には敢えて応えない。気づいていないのは、にへらと気味悪い笑みを浮かべている腕の中の女だけだろう。
「じゃ、これから少し音合わせるか?」
「そうだな……折角一週間の休暇をもぎ取ったんだ。それなりの音を聴かせろよ」
「鬼指揮者らしい台詞も久しぶりだな―――と、のだめは? どうする?」
 いつも通り練習見ていくか? という峰に、のだめは首を横に振る。
「いえ、のだめピアノ弾きたいカラ練習室借りて来マス。また後で会いましょーね」
 頑張って下さい、と元気良く手を振り回し、のだめは通い慣れた校舎へと足を向けた。大方、谷岡先生辺りにでも練習室の催促にでも行ったのだろう。最近やたらピアノに没頭しすぎているような気がしないでもないが、荒れている雰囲気はないし。まぁ、良い意味で音楽漬けになっているのなら放っておいた方がいいのだろう。しばらくのだめの後姿を見つめていたが、峰の呼びかけに思考を打ち切る。

「のだめ、何だか変わったな」
 ぽつり、と呟いた峰の言葉に視線だけを投げかける。反対側からは真澄の視線も向けられている。
「そうか?」
「…何か、大学でお前追っかけてたただの音大生じゃなくなっちまった気がする」
「まぁな。あいつもいろいろ成長したし……音楽はもっとすごいぞ」
「……お前のせいか」
「おかげ、じゃなく?」
――― 一緒に行こうって誘って断られた奴の言う事じゃねーよな」
「何でそれを…!!」
 誰も知らないハズなのに……?! ニヤニヤと笑って答えない峰の代わりに、真澄が助けを出す。
「佐久間さんがおっしゃってましたけど」
「………」

 ―――本気で、もうクラシックライフの取材を受けるのを止めようかと思った。
 第一、どっからそんな情報を手に入れてくるんだ、あの人達は。


 ま、のだめの成長は嬉しいよな。あいつのピアノには魂を感じるし!
 峰は練習室の防音扉を開けながら笑う。ああ、ここにもあいつのピアノを無条件で信じている奴がいる。それが何より嬉しくて、でも一番は俺なんだという大人気ない考えが頭を巡った。
「でも、千秋様。肝心のピアノの方は大丈夫なんですか? あの子」
「…今回はオケと共演するっていう訳じゃないし、俺との連弾は何回かやってるから大丈夫だと思うぞ」
「のだめの演奏は?」
「……俺もまだ曲目全部聞いた訳じゃないから、よく分かんない。――ま、大丈夫だろ。練習、始めるぞ」

 颯爽と指揮台に向かっていく背中があの頃よりも逞しく見え、峰は自然と口の端が上がるのを感じた。自分の確固たるものを信じ、自らが作り出す音楽を信じている者の背中。きっと彼の目には迷いなんて一切映っていないんだろう。彼は、自分達との約束をきちんと果たしつつある。一回りも、ニ回りも成長している。それを、実感することが出来る。それでもきっと彼は満足なんてしないんだろう。上を、更なる向上を目指している。
 ……それでも、一番変わったことと言えば。
「やっぱ、お前が一番変わったよなぁ」
 すっかり丸くなっちまって。……まぁ、のだめを信じてるのはあの頃から変わりはしないけどさ。



 
passage … 経過句。主要なメロディ・ラインを結びつける経過的なフレーズ。
私の中では千秋は一生飛行機には慣れませんww
 


 

 
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