tutti  intermezzo


 
 松田さんの担当時間は午前中まで。それ以降の割当は俺だけになる。
 ずっと日本でR☆Sを振っていた松田さんのおかげか、オケのレベルは格段に上がっている。まぁ一部は相変わらずまだまだだが、僅かな指示で欲しい音を引き出せるようになってきた。
 何度もやっている曲なので、失敗しようがないハズなんだけど。

 今回のコンサートは初めてクラシックに触れ合う客にも親しみやすいように、と馴染みのある曲や、聴いたことがあるものばかりを選曲してプログラムに組み込んでいる。そんな訳で午前中勉強のため、と聴いていた松田さんの曲目はドヴォルザークの「チェコ(ボヘミア)組曲ニ長調 Op.39」、ラヴェルの「ボレロ」。まぁ、あの人らしいというか、あの人だからこそ引き出せる音というか。シュトレーゼマンには敵わなくとも、あの人も独自の魔法を持っている。だが、あの人ならもっと俺様な曲をセレクトすると思ったが……「皇帝」とか、「英雄」とか。ぴったりだろ。
 今回のコンサートは三日間行われる。初回は贅沢にいこうという峰の希望が採られ、ある意味音楽祭のような盛り上がりだ。構内を歩いていても、声を掛けられるようになったし……チケットもほぼ完売らしい。どうやら宣伝には佐久間さんも関わっているようだ。
 俺の曲目はブラームスの「交響曲第一番」とベートーベンの「交響曲第七番」。まぁ、…俺の運命を180度変えた曲だ。一日目が本番の松田さんとは違い、二日目担当の俺には+一日分の時間が残されている。日本を発つ前に演奏したこの曲たちを、更に高めたい。俺のオケは留学組だからコンマスは清良だし、俺の意図を感じ取って的確な反応を返してくる。三日目──最終日には、留学組+高橋+萌・薫の個人演奏、それから……のだめの演奏がある。彼らも自分のことを抱えているのにオケにも全力でぶつかってくる。ふと、コンクールの件ですれ違いがあった事を思い出した。

 ───成長、してるんだな。あの頃から、確実に。

 成長、といえば昨日あれから俺の練習が終わって夜も深まり、そろそろ帰ろうと考えた時未だにピアノを弾き続けていたのだめを思い出す。集中……するのは良いんだが、やや過敏になり過ぎじゃないだろうか? のだめ。
「じゃあ、第一楽章から…」
「そこは木管から弦に主題を渡すところだから、しっかり鳴らして!」
「…峰、一人で突っ走んな!」
「突っ込まれるの俺だけかよ?!」
「うるせぇ! 周りの音を────て、ちょっとストップ!!」

 それまで流れるように奏でられていた音がピタリと止まる。誰かがミスをしたのか?…いや、特に失敗した所はないハズだ。
「…千秋君?」
 しばらく呆れたように目を閉じていた千秋に、清良が声をかける。思考回路を打ち切ったのか、諦めがついたのか、千秋は悪い、と言ってから後ろを振り返った。
──のだめ!」
 オケのメンバーの頭に一斉に「?」が浮かぶ。練習室にはのだめの姿は見えない。だが、相変わらず後ろ……すなわちドアを睨み付けている千秋に迷いは見られない。…と、おずおずとのだめがドアの向こうから姿を現した。どうやら隠れていたらしい。
「ぎゃぼ…見つかっちゃいましたか」
「だからそんなの隠れてるうちに入らねぇって言ってるだろ!」
 固まっているオケを余所に、二人の口論は続いていく。が、そこに聞き慣れた、あまり聞きたくはない低い声が加わる。
「まぁ、千秋君も落ち着いてよー。俺が一緒に覗こうって言ったんだからさー」
「松田さん! …あんたもいたのか。ていうか、だからわざわざ覗きに来る必要がないでしょう! 聴きたいなら堂々と中で座ってて下さいよ」
「自信満々だねぇ…それにしても俺には気付かなかった?」
 ニヤリ、と笑った松田の言葉に一瞬千秋が怯んだ。再び言い返すかと思われたが、千秋はやや間を置いた後、「のだめ」と手招きする。
「のだめ、飲み物買ってこい」
「むきゃ、のだめ、パシりデスか?!」
「いーから買ってこい。さっさとしろ」
 有無を言わさない千秋の態度に、むぅと膨れながらものだめはドアに向かって駆けていく。ドアが完全に閉まったのを確認すると、千秋はとりあえず安堵のため息をついた。と同時に、松田の声が練習室に響く。
「変態の彼女の居場所はすぐ分かるんだねぇ」
「…! 別に、いつもマルレに覗きに来てるから」
「俺には気付かなかったくせにねー。探索機能は変態の彼女専用かー」
 うるさいですよ、と千秋が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。松田はゆったりと席に座り直し、嬉々とした正反対の表情を浮かべた。
「…ていうか何であなたがのだめと一緒に聴いてるんですか」
「んー? ずっとピアノばっかり弾いてたから気分転換に、って誘っただけだけど? 何、俺が隣にいると駄目な訳?」
「……別に」
「ひねくれてばかりだと愛想尽かされるぞ」
「…それを自分の胸に手を当てて、反芻してみたらどうですか」
「かわいくないなぁ、相変わらず。恋愛話とシャツの仲じゃないか」
「何誤解されるような事を言ってるんですか! 大体シャツ返してないでしょう?! あげたつもりもありませんし!」
 でもま、と松田は苦笑する。
「だらだらしてると、横からかっさらわれるよ。取られないよーに気を付けろよー?」
 下らない、と呟いて千秋は再び松田に背を向けた。先程止めてしまった箇所を総譜で確認する。
「俺にもなー」
 誰もが爆弾投下されたのだと気がついた。千秋の視線は未だ総譜に向けられている。だが、身体全体から負のオーラが滲み出ている。松田はそれに気付いていながら、敢えて千秋を煽っている。
「……本気ですか?」
───さぁ?」
 まぁ、いいですけどね。そんな千秋の声が聞こえたような気がした。
「応援はしてあげますけど…まぁ、あいつがあなたに落ちることは絶対ないんで。諦めた方が得策だと思いますが」
「そう? もしかしたら上手くいくかもよ?」
───無理ですね」
 千秋の即答に、松田の眉がぴくりと動く。へぇ、と呟いた声が固いのは気のせいだろうか。
「あいつに合わせられるのは俺ぐらいですよ。あなたじゃあいつの『音』は捕まえられない」
「……言ってくれるね」
「俺だって聴く度にあいつの『音』が変わっていくのを楽しみにしてるのに、あなたにそれを捕らえられたら腹が立つでしょう」
 成程ね。そりゃそうだ。
松田がそう言った所でペットボトルを持ったのだめが戻ってきた。平然と「お疲れ」と声をかける千秋からは、何も口にするなというオーラが溢れ出ている。

 ───というより。
今のは、『千秋真一』と『松田幸久』としてではなく、『指揮者』としての話だったのか?
……千秋を嫉妬させようと画策した松田の作戦じゃなかったのか?
「……レベルが高すぎでついていけないくらい、くだらない喧嘩だな」
 千秋と松田の集中攻撃が峰に向かったのは言うまでもない。
コンサート開幕まであと二日。今日も桃ヶ丘は平和だった。…はずだった。



 
intermezzo … 間奏曲。
音楽的話になる前に、千秋vs松田さんを書きたかったのさ。うん。
 


 

 
inserted by FC2 system