tutti  obbligato


 
「さて…どうしますかネ? チアキは」
 …そして、彼女はどう出る?
「じっくりと見せてもらいましょうか。―――君タチの『絆』をね」

 静まり返っていた会場には、千秋の奏でるヴァイオリンだけが響いている。プロとしても通用するであろう、その大胆かつ繊細な技術。激しさを求めるヴァイオリンの音色。会場にいる人々は息を飲んで聞き惚れている。

 ───すごい。

 …魅了される。峰は思わず生唾を飲み込んだ。すごいどころではない。鳥肌が立つ。引き込まれる。
 ……でも、何かが足りない。『何か』が。
「何の曲だコレ…聴いたことねーな」
「エルガーのヴァイオリンソナタよ。……ヴァイオリンソナタ ホ短調 Op.82」
 振り返ると、峰の隣でじっと千秋を見つめながら清良が答えた。
「まぁ、私もちゃんと聴くのは初めてだけど……確か、明日の曲目にも入ってたハズよ?」
「ヴァイオリンソナタだぁ…? じゃあ、何で千秋だけが───
 は、と峰は千秋に目を向けた。
 違和感を覚えた客たちの間にもざわめきが起こり始めていた。だが、その声という『音』すら遮断して千秋は求めている。ただ一つの『音』を。彼が求める、彼だけが捕まえることが出来る『音』。それは、彼が求めているただ一つのものだから。

───あ?」

 どこからかピアノの音色が流れてくる。始めは小さく、何処となく戸惑い気味だったその音色が徐々に確かな音の粒を作り出す。己の走るがままに、己の求めるがままに。
 その音色に人々は驚愕する。まるで、一人で演奏しているかのような。まさに一心同体という名に相応しい音楽。どちらかが欠けては決して奏でることの出来ない、千秋と…彼女の『音』。音楽。
「……千秋」
 やっぱ、お前らすげぇや。どこまでも貪欲に音楽を、『音』を求め続ける二人だから。突き進むことが出来るし、立ち止まることもある。それでも、どちらかの足が止まってしまったら、一緒に手を繋いでまた進むんだろ? もう、離れることなんて出来ないんだろ?
 ……ホント、やってくれるよ、お前らは。

 ───応えた。

 どこだ、どこにいる?
 千秋は閉じていた目を開けた。変わらず滑らかな音を紡ぎながら、微かに聞こえるピアノの位置を探る。そうしながら、ふと気付くとそのピアノの『音』に聴き込んでいる自分に苦笑してしまう。……ここまでアイツの音にハマってるなんて。
 会場内に響くヴァイオリンとピアノの調べ。指揮者の耳は、その根源を突き止める。周りには目もくれず、その場所へと真っ直ぐに向かっていく。千秋、という峰の声が聞こえたような気がしたが、そんなのは頭の片隅にも残らない。簡易収納が出来るのだろう、僅かな隙間が空いている壁の前に立つ。
 次の瞬間、ここが会場なのだということも無視して、千秋は目の前の壁を蹴り破った。しん…と静まり返った後、その荒行に慌て出す関係者たち。一方、R☆Sのメンバーたちはいつもの千秋らしかぬ行動に唖然としていた。
 そして、同じく唖然としているのが一人。

「……………………え?」

 突然現れた会場と、ヴァイオリンを抱えて壁を蹴り破った千秋に困惑……呆然としている、のだめ。
「のだめ……!! ───泣いたのか?」
 駆け寄った千秋の目に映ったのは、ピアノチェアに座り込むのだめの真っ赤な目。眉間に皺を刻んだ千秋に苦笑しながら、のだめは「ハイ」と小さく答える。
「えへ…泣いちゃいました」
 のだめ、駄目デスね。ふ、と目を伏せてのだめは口を開いた。

 圧倒されて。自分がとてつもなく小さいことに気づかされて。
 そんなことにも気付いてなかった自分が悔しくて。
 ピアノを弾かなくちゃいけないような気がするのに、焦ってばかりで自分の音が聴こえなくて。
 助けを求めることすら出来なくて。
 自分を失った時に聴こえた、千秋の、───ヴァイオリンの音。
 気付いていたら、ヴァイオリンに合わせてピアノを弾いていた。心が、穏やかになるのを感じた。

「やっぱりのだめは甘えてマスね。真一くんがいないと駄目なんデス。…のだめは、のだめの『音』も忘れてしまうんデスよ」
 ───俺だって。
思わず、のだめを抱きしめる。自分の想いが伝わるように。会場がざわついている。ああ、きっとジジイが嫌な笑みを浮かべてるんだろうな。
「…あの、俺様千秋様が…!」
「意外、よね」
「パリでは二人っきりの時、いつもあんな感じだったよ?」
「いやぁぁぁ千秋様ぁぁぁ」
 …ったく、うるせぇ。少しは黙ってろ。
「せ、先輩…?! 皆見てますよ!!」
───俺だって、お前がいなくちゃ音が鳴らない」
「……………」
 ぴたり、と動きを止めるのだめ。
「すり抜けていくんだ。お前の音が、お前のピアノがあるから俺は俺の音楽を作り出すことが出来る。……俺とお前は繋がってる。繋がってるんだから───離れることなんて、ない」

 俺にお前の『音』が必要なように。お前も、俺の音に頼ればいい。そして、そこから自分の『音』を掴んでみせろ。お前の『音』にしてみせろ。
 だから。焦るなよ。いつまででも、待ってるから。お前が追いついて、共に走り出せるのを。一緒に、手を繋いで進み出せるのを。だから。だから、一人で勝手に泣くな。

「お前がどこに飛んでもいいから。だから、必ず俺の所に戻ってこい。泣くなら、俺の側で泣け。それから笑え。それだけで俺は強くなれる。また、歩き出すことが出来る。………お前は?」
 のだめの頬を両手で包み込んで、目を覗き込む。少し目を見開いていたのだめは、やがて柔らかい笑みを浮かべた。
「……のだめもデス。のだめも、真一くんがいればどこまでも強くなれる。進める。……だから待ってて──絶対、追いついてみせますカラ。ゴールデンペア、デスもんね?」

 もう大丈夫。のだめ、ちゃんと自分の『音』を捕まえられましたよ。
 ───やっぱり、真一くんはのだめの魔法使いデス。
 そう言って笑ったのだめの笑顔は、本当に綺麗だと思った。



 
obbligato … 楽曲にとって必要不可欠で省略出来ないもの。
いつだって、何処だって、僕達は音楽で繋がっている。
 


 

 
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