tutti  ad lib


 
 ―――モーツァルト、「二台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448」。
 初めて、真一くんと連弾した曲。この後、のだめは真一くんにフォーリンラブしたんデスよね。
 あの時はのだめ、最初の二小節で間違えちゃって……楽譜投げつけられたのも、この時が初めてだった。
 あれ、結構かなり痛いんデスよ……? 知ってマス、真一くん?

「……自由に弾いていいから」
「え?」
 ピアノチェアに座ろうと、真一くんがエスコートしてくれた時にふと頭の上から降ってきた心地よい、低い声。
 思わず、頭上の真一くんを振り返る。優しい笑顔の真一くんがいた。
「今日だけは特別。楽譜とか、作曲者の意図とか気にしないで」
 ―――のだめの『音』を楽しんでいいから。
「……でも、何で? いつもは…」
「さっき演奏聴いてたら音大の頃思い出してさ。たまには、いいかもと思って」
「むぅ。分かりマシタ……でも大丈夫デスか?」
 久々だから、随分遊んじゃいマスけど? 加減、出来ないかも。
 そんな意味を含めた視線は、真一くんのニヤリとした強気な俺様視線と交わる。
「俺を誰だと思ってんの? お前に合わせられる奴なんか、俺くらいしかいないだろ」
 ……そうデスね。その、俺様な態度にちょっと引っかかりを覚えマスが?
 苦笑しながら目の前の白と黒で構成された、88個の鍵盤を見つめる。ここが、私の世界。今から、一緒に楽しい音楽の時間を過ごすお友達。目を閉じた暗闇の中に、真一くんの声が響く。
「……いつでもどうぞ?」
 ハイ。…頑張ってついてきて下サイよ? のだめに惚れ直せー、デス。


 ――― 一瞬の呼吸の後に奏でられる二人の音。
 ……ああ、やっぱりそうだ。峰は静かに目を閉じる。「ぴったり」。この言葉が一番合う。呼吸も、拍動も、何もかもが一心同体。身震いがする。寸分違わぬ二人がすごく羨ましくて、嬉しくて。
 あ、のだめの音が跳ねた。……これ、のだめ作曲してるだろ? 絶対、音多いぞ。リズムも変わってるし。おい、今の変調じゃないか? それじゃ完璧変奏曲だろーに。
 そんなのだめの演奏に苦笑しきってる千秋。でも、まるで初めからそんな音楽があったかのように、千秋はのだめの『音』に応えている。
 たまに合うその視線、まるで俺たちに見せ付けてるつもりか? 千秋。その信じきってる目は何だよ。
 音が弾ける。指が鍵盤を叩く。息が止まりそうなくらいに、引き込まれる。圧倒される。
 昨日の千秋の演奏どころじゃない。ヴァイオリンソナタをも超える。俺たちが飲み込まれそうだ。真澄を振り返ると、目を見開いて固まっていた。
 ……そうだよな。そんな、音楽を当たり前のように作り上げているお前らが本当に羨ましいよ。
 のだめを受け止め、支えてもらっている千秋。千秋に背を預けながら、千秋を見上げて一緒に手を繋いでいるのだめ。
 …分かったよ、もう十分。頼むからその天然バカップル振りを会場に振り撒くなって!


 ―――エルガー、「ヴァイオリンソナタ ホ短調 Op.82」。
 ピアノに向かうのだめの斜め隣に立つヴァイオリンを構えた千秋。
 昨日とはまた違う『音』が奏でられている。迷うことのない、真っ直ぐな…自分を、相手を信じている音。
 それにしてもさ。
「ピアノもヴァイオリンもプロ並に弾ける指揮者って、何かムカつくよな」
「龍ちゃん……自分が下手だからって」
 どうやら、ようやく復活したらしい真澄の突っ込みに峰は苦笑する。それを言っちゃあオシマイなんだけどなー。
 のだめの背中を見つめる真澄が、ぽつりと言葉をこぼす。
「……思えば、のだめのピアノ…ちゃんと聴くのは初めてだったわ」
 軽く目を伏せ、ピアノとヴァイオリンをその身に迎え入れる。
「響いてくる。迫ってくる。鷲掴みされる。あんな音を奏でるなんて……想像も出来ない」
 普段、あんなに一緒に馬鹿やって、ふざけてばかりで。千秋に怒鳴られる日々だったのに。あの頃軽く聴いたピアノだって、ほとんどデタラメだったのに。
「それでも、のだめの『音』に気づいたのは千秋だったんだよな」
「千秋様、『音』に惚れるな…なんておっしゃってらしたけど、」
 含みを持たせた真澄の台詞に峰は再び振り返った。
「……あれじゃ、千秋様…最初からのだめに惚れていらしたのね」
「…まぁ、だろーなぁ。日本にいた頃だって、誰がどう見ても天然無自覚夫婦―――て、真澄ちゃん?」
「何よ? 龍ちゃん」
「その言い方は……もしかして、のだめに敗北宣言か?!」
「なっ…何を言い出すのよ! 私の千秋様げの愛は不滅よ!!」
 きーっ、と峰を睨み付けてから、でも…と真澄は視線を上げた。
「この『音』だったら……千秋様でも、惚れるわね」
「………………」
 千秋「でも」、って……真澄ちゃん。それ、……………………千秋に宣戦布告?

 千秋の手を取って、しっかりと握り締め何度もお辞儀をする二人に、今までで一番の拍手を送った。
 気づいたら、俺も真澄ちゃんも涙で視界が滲んでた。……ホント、やってくれるよ。千秋、のだめ。
 さすが、俺の親友とソウルメイトだ!!



 
ad lib … 自由に。
彼と彼女にしか出来ない遊戯の世界へようこそ。
 


 

 
inserted by FC2 system