追憶の瞳を向ければ、懐かしい日の光がこぼれていた。
白く輝く銀世界 03


 
 止まるということを知らない人の波。久しぶりのこのふわふわとした浮遊感。
 …………あぁ、帰ってきたんだ。唐突にそう、感じた。
「よぉ! 我が親友」

 ――追憶の瞳を向ければ、懐かしい日の光がこぼれていた。

「随分と見ない間に老け込んだんじゃないか?」
「うるせぇな、こっちはいろいろ大変なんだよ」
「……そうか」
 ハンドルを器用に回す自称親友――峰は、ちらりとこちらを見た。
「のだめは?」
「今は……ロンドンで客演中だろ。それが終わり次第こっちに来るって言ってた」
「そっか……あのさ、」
「峰。まだ着かないのか?」
 峰が「何か」を言おうとしたのは気づいた。……いや、「訊こう」としたのは、か。
 それでも、今それを口にはしたくなかった。
 まだ「自分」が戻ったのかも分からない。中途半端なままだろうから。
 それに、これは俺一人の独断で口にしていいことではない。俺は、そう思っている。
 だから、今は……許してくれ。
 それを感じ取ったのか、峰は「うるせぇ。安全運転なんだよ」と呟いた。
「千秋くん! 久しぶり〜元気してた?」
「清良……相変わらずだな」
「千秋くん、会いたかっ――ぐふ」
「千秋さまぁ〜!!!! 真澄を覚えておいでですかぁ?!」
「………高橋くん、真澄……久しぶり」
 いつでも俺を迎えてくれるR☆S。
 清良は今でも、高橋とのコンマス争奪戦をしているらしい。確かに、あの頃より二人とも技術もメンタルも上がった。
 真澄は今は違うオケに所属していながら、俺が戻ってくると聞くなりヘルプで入ってくれたという。
 ………あの頃のままだ。俺の、原点。
「んじゃ、早速曲決めからするか!」
 峰が段ボールに総譜を詰め込んで駆け込んでくる。その中の一冊を手に取りながら、飛行機の中で考えていたことを思い出した。
「あのさ、」
「んぁ? 何だ、もう決めた曲があるのか? まぁ……一個はピアノ協奏曲だろうけど、」
「あら、そういえばのだめは?」
「……真澄ちゃん、気づくの遅いって」
「あの子なんてその程度の扱いで十分よ!」
 むきーっ、と膨れた真澄を「まぁまぁ」と宥め、峰はこちらを振り向く。
「で?」
「あー……あぁ、まぁ、いいや。まだ考え中」
「はぁ?」
「何でもねぇよ。で、どうする」
「のだめは? 何か聞いてねぇのかよ」
「………聞いてない」
「おーまーえー!!!!」
 メインからの意見を聞いてねぇのかよ! と峰が吼え出すと、清良が騒ぎ出す。
 ……そういえば、もう何年の前から清良は拠点を日本に移した筈だ。だから、一緒に暮らしてる、と前に葉書をもらったことがある。
 なのに、まだ結婚していないのは何故だろう?
 ふと気になって、無意識に二人を見つめていたら、隣から「千秋くん、」と小さな声が聞こえた。
「………黒木、くん」
「久しぶり」
 小さく口角を上げた黒木くんは、「よいしょ」と隣に座る。それを何とはなしに見ていると、「復帰おめでとう」と声をかけられた。
「あぁ……うん、まぁ」
「マエストロからのOKサインが出たの?」
「そんな感じかな。……行ってこい、って追い出された」
「……彼らしいね。でも、マエストロがそう言ったってことは、恵ちゃんからの許可が出たんだろうね」
「…………」
「とりあえず、千秋くんの瞳に光が戻って良かったよ」
「光?」
「そう。………『あの時』は、今にも消えかかりそうな暗い瞳、だったから」
「―――そう、だな」
 清良と同様、拠点を日本に移した黒木くんは、少し前にターニャと別れたらしい。のだめが残念そうに呟いていたのを覚えている。
 彼自身大変な転機だったろうに……俺や、俺とのだめに親身になってくれた。
 こういう時に、彼のことを純粋に「凄い」と思う。
 彼は、何よりも己より他人のことを第一に考えてくれる人だから。
 だから、ターニャと上手くいかなかったことも、それ相応の理由があったに違いない。
 「すき」で、「きらいじゃない」のに「サヨナラ」をしなければならなかった時の、あの心の痛みほど辛い物はないと思う。
「……振れそう?」
「え?」
 突如振られた話題に思わず顔を上げると、黒木くんが軽く指先を振っていた――指揮、という意味か。
「………多分、」
「自信、ないねぇ。女神が傍にいないと駄目?」
「いや、そうじゃなくて……俺の問題」
「だろうね」
「……」
「でも、僕達もフォローするからさ。千秋くんは自分が求める音楽を表現する事を考えればいいよ」
「………ありがとう」
 俺が、求める音楽。―――俺が、作りたいと思う音楽。
 それを、俺は「見つける」ことが出来るんだろうか?
 周りが騒いでいるのにも関わらず、俺はそれさえも耳には入らずただ己の手を見下ろしていた。



 
それぞれが、それぞれの想いを抱えながら。
 


 

 
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