聖夜に響く君の声は、十二時を知らせる鐘よりも良く響いた。
聖誕祭と星の夜 07


 
 ピアニストNodame、ロンドンにて客演大成功―――!

 そんな記事がネットに掲載されたのは今朝のことだ。録画は後日帰国してから見せる、と聞いていたのでとりあえず評論家の言葉を読んでみる。

 『Nodameに”音楽の女神”が舞い降りた。以前のような、子供らしく、かつ大人の切なさを併せ持つ魅惑の響き。彼女にどんな心境の変化が舞い込んだのか、非常に気になる。メンタル面における音楽に対する影響が大きいことについては要注意が必要ではあるが、今回の客演ではそれを上回る成果が得られただろう』

「………メンタル面、ね」
 珈琲を口に運びながら、つい口から言葉が飛び出てしまう。そして、それに眉間に皺を寄せるのももう癖の一つだ。
 時計に目を逸らすと出発予定時刻に差し掛かっていた。
 今や二つとなった”お守り”を手に、車の鍵と携帯、財布、それから――総譜を手にして、重い玄関を開けた。



「――よし、今日はここまで」
 ふぅ、と息を吐くのと同時に、一気にオケの緊張感が解ける。
 隣の奴と技巧について相談するやつ、携帯をすぐさまチェックするやつ、飲み会を企画している……峰。
 ――飲み会?
「なぁ、千秋は行くのか?」
「何処に?」
 総譜を閉じながら、視線も送らず応える。
「クリスマスパーティーだよ! 親父がさ、『先生も是非どうぞ』って」
「……だから先生はやめろって」
「で? 行くのか、行かないのか?」
「そうだな………いや、やっぱ止めとく」
「えー? 行こうぜー?」
「お前は清良とデートじゃなくていいのか?」
「そりゃ、パーティー抜け出して仕切り直しするに決まってんだろー」
「………あっそう」
 どうやら(強制的に)参加することになったらしい黒木くんが、「助けて」という視線を送っている。
 ということは、彼らの”飲み会”とやらは、かつての酒豪と変わらないのだろう。
 ……いや、黒木くんが怯えているということは、それ以上になっているのかもしれない。
 ま、今の俺には関係のないことだし。黒木くんには犠牲になってもらうということで。
「んじゃ、お疲れ」
 ホールを出てから、あぁ、そうか。今日はクリスマスだ。ということに気が付いた。



『……先輩?』
「ん」
『ネット、見ました?』
「朝一でな。……結構評判良かったぞ。”音”が戻った、って」
『……そ、デスか』
「どうした?」
 んー、何でもないデス。とのだめが苦笑する。途中、電波が揺れるのか雑音が入るのが苛立たしい。
 でもそれを越えてしまうくらい、あいつの声にこんなにも安らぎを感じている。
『雪合戦をしたんデス。地元の子たちと……誘われてしまって』
「阿呆か。ピアニストの自覚あんのか、お前」
 ほら、やっぱり。それで、マネージャーに怒られたんだろ?
 そう言ってやると「……分かります?」と、妙に神妙な声音で逆に尋ねられた。
 分からない訳がないだろ。
『それで、デスね。……お願いがあるんデスけど』
「お願い?」
『えと……今日、コンサト見に来てくれた人がですね、その』
「――切るぞ?」
『むきゃー! 嘘デス、喋ります、だから切らないでー!!!』
「……うるせ。で? 何、お願いって」
 耳元からキンキンと響く声にも怒りは全く湧いてこなくて、逆に苦笑しながら訊く。
 心なしか優しい声音になったのは、おそらく無意識。
『……凄く、今日の演奏に感動したから、うちの教会でピアノを弾いてくれって』
「教会?」
『お金には全くならないんですけど。音楽に触れた事もないような子たちがいっぱいいるんデス。……で、スザンはちょと渋ってるんデスけど……』
「なるほど、お前は弾きたいってか?」
 スザン、というのはのだめに付いたマネージャーのことだ。俺たちの中での陰のあだ名は「エリーゼ2号」である。
 どうも依頼を聞くとすぐさま頭の中で電卓を叩いているような人間で、それでも音楽の素晴らしさをより多くの人間に伝えたい、と意気込む姿は賞賛に値すると俺は思っている。
 ……まぁ、堅物な所は、少々苦手かなと感じることはよくあるのだが。
『……どう、思います? 真一くんは』
 出た。”真一くん”は、もはやのだめからの”おねだり作戦”の戦法の一つだ。
 俺が、此に弱いと知っていて仕掛けてくる。
「それはいつ?」
『えと……明後日デス。なので、いろいろ準備してると日本に着くの元旦になっちゃうんです』
「ラフマは? 練習してんのか?」
『それは大丈夫デス! ラフマ自体は初めてじゃないし、暗譜も表現も完璧デス』
 言うじゃないか。
「なら、いいんじゃないか? 教会で弾いてきても。メンバーには話しておいてやるよ」
『ホントですか?! やた! ……あ、でも真一くん?』
「ん?」
『もう一曲、あるんでしょ? それはいいんデスか? のだめ、曲名も聞いてないんですけど』
「あぁ、それはまだ決めてない。だから少々詰め込みになるが……出来るよな?」
『当たり前デス! 完璧に弾きこなしてみせますよ! 着いてこい! デス』
「上等。……のだめ、お疲れ」
『…………ハイ。真一くんも、デス』
 ふいに、二人の間に沈黙が流れる。それを崩すことなく、そっと瞳を閉じてあいつの息遣いを感じていた。
『……あ、雪』
「? 外にいんのか?」
『ハイ。雪だるまがいたので、装飾中デス』
「相変わらず子供……ぉ、こっちも雪降ってる。初雪かな」
『ふぉ、ホワイトクリスマスになりますかね?』
「さぁな……すぐに溶けんじゃねぇ?」
『………真一くん、情緒がないデスよ』
「てめぇに情緒なんて言われたくねぇよ」
 でも、と呟いたのだめの声が揺れた。思わず、受話器を耳に強く押しつけてしまう。
『―――早く、会いたい、デス』
 響きがいつまでも頭の中に木霊しているのを感じながら、「……あぁ」と応える。
 『むきゅ。真一くんが素直』と揶揄うのだめを散々言い負かした後、「じゃあまた日本で」と通話を切る。
 長かったようで、とても短かった時間。
 何時の間にか手に握りしめていた小さな小箱に視線を落とすと、知らず口角が上がった。
 ……早く帰ってこい。待ってるから。
 聖夜に響くあいつの声は、十二時を知らせる鐘よりも良く響いた。

 ――あ、あいつに言うの忘れてた。案の定、心を読みとったかのようにメールが入る。
 それを読むなり、何だあいつも忘れてたのかと笑ってしまう。
 ………メリークリスマス、のだめ。



 
そんな些細なやり取りが、何より愛しい。
 


 

 
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