空が白く光った時
きみへと続く道 11


 
 うーん、と伸びをしてみる。凝り固まっていた身体が解れていく感じが好きで、何度もしてしまう。
 少しの耳鳴りと、意外と美味しかった新しい機内食の思い出が自然と笑みを浮かばせる。
 それから腕時計で時間を確認する。……むきゃ、少し遅刻気味、かな?
「えと……16ゲートがこっちだから、えと」
「――のだめ」
 ずっと、ずっと待ちこがれていた声。低くて、優しくて、包み込んでくれる、たった一人の声。
 彼の声は何よりもの楽器よりも天上の調べを奏でてくれる。
 振り返った瞬間――空が白く光った時――、その光の向こうにその姿が見えた。
 ……あぁ、”帰って”来たんだな、と思った。この地に、そして彼の元に。
 数年振りに吸い込んだ日本の空気は澄み切った冬の匂いがした。



「おかえり」
 そう言って突如抱きしめられた。外国並みではないけれど、周りにもそういうカップルはいたりするから大して驚きはしないけれど。
 ……まさか、真一くんがこれをするとは。
「……何?」
「や、真一くんの奇行に驚き? ――あたッ」
「何が奇行だ。万年変態が」
「むきゅ。その変態を好きになったのは何処の誰ですか!」
「………荷物、それだけか?」
「話逸らしましたね。いいですよ、のだめは妻デスから。夫に合わせてあげマス」
「まだ妻じゃない」
「そーゆーの、屁理屈っていうんですよ」
「つかいい加減行くのかいつまでも此処にいたいのかどっちなんだ」
 練習時間押してんだぞ。
 鶴の一言とはまさにこのことで、早々に空港ゲートから立ち去る。
 のだめの分の荷物を抱えて先を歩いてくれている真一くんの背中を眺めながら、微笑みが漏れた。
 ……安心するなぁ。
 彼がいるだけで絶対の信頼が其処に生まれる。無敵になれる。それは、無条件に、永久に。
 でも、もう少し二人だけで一緒にいたい……なんて思うのは、のだめの我が儘ですかね?
「二曲目は決まりました?」
「あぁ……後で教える。今、オケも練習中だからな」
「むん。珍しい曲なんですか?」
「――まぁ、そんな感じ」
 運転中の真一くんの姿は相変わらず格好良い。思わず写真に納めたくなる。
 でも、そんなことをすると一寸たりとも運転は狂わないのに、鉄槌が下る。……やっぱり真一くんは凄い。
 車窓の外の景色がどんどん変わっていく。それをぼーっと眺めていた。
「……雪、溶けちゃいましたね」
「元からそんな降ってなかったからな、本当にホワイトクリスマスなんてその日だけ」
「雪見たかったなー」
「んじゃお願いすれば? 『雪降らせて下さい』って」
「そしたら真一くんはどうするんデス?」
「もちろん自主休暇」
「………それ、ズル休みって言うんじゃ……?」
 怪訝な顔で振り返ると、案外優しい微笑みをたたえた真一くんの横顔があった。慌てて視線を逸らす。
 ……そーゆー不意打ちは反則デス。のだめの心臓がもちまセン。
 しばらく外を眺めていると、ふと気づいた。車のヘッドボードに設置されている時計で確かめる。
「道混んでマスか?」
「いや? 別に」
「んじゃ、交通事故?」
「違う。ナビ見てみろ、何も出てねぇだろうが」
「……んじゃ、何で?」
「何が?」
 むむむ。それをのだめに言わせますか。相変わらず、イイ性格してますね。誉めてマセンよ?
「時間、かかりすぎデス。もう着いてもいい頃なのに」
「……それは、嫌だって言ってんの?」
「――むきゃ」
 だから、反則デス。いきなり手を重ねないで下サイ。そのまま私の右手はギアの上に連れ去られる。
 ぽかぽかする温かさが安心を運んでくる。
 器用に片手でハンドルを回す真一くんは何処吹く風。絶対、確信犯。
「たまには、デート。…………したくない?」
 ……。声、震えてますよ? のだめは、もう大丈夫なのに。優しすぎるのが、真一くんの駄目な所デスね。
 でも、その優しさが何よりものだめの傷を癒してくれるんです。だから、乗ってあげます。
「――したい、デス。でーと」
「了解」
 R☆Sの皆さん、ゴメンナサイ。もうちょと、もうちょとだけ真一くんを貸して下さいね。
 もう少し経ったら”鬼指揮者の千秋真一”に戻しますから。
 真一くん。どんなに誤魔化そうとしても無駄ですよ。のだめにはバレバレです。
 いつからうちの指揮者はこんなにも腑抜けになっちゃったんですかね? 渇を入れてやりますから、覚悟してて下サイよ?



 
”彼女”の登場で、物語は大きく動き出す。
 


 

 
inserted by FC2 system