『――もしもし、のだめチャン?』
いきなり電話したのにも拘わらず、ミルヒーはのんびりと応えた。
それが、意外だったのと、実は少し怖かったのは私のお墓まで持っていく秘密。
……そう、まるで子供が諭されるみたいに。それを、おっかなびっくり待っているような。
でも、不思議と―――嫌な気分じゃ、ないんだ。
ミルヒーと話をする事自体が久しぶりだったから、しばらくは近況報告をしていた。
……と言っても、ほとんどをスザンが伝えているだろうから、大した量ではなかったけれど。
でも「言わなきゃ」と焦っている私が心に居るのも事実で、どう切り出そうかと思っていたらミルヒーから切り出してくれた。
やっぱり彼は侮れない。
「……真一くんの、居場所を教えて下サイ」
『出来まセン』
「―――ッ、」
即座に返って来た返答に、息が詰まる。それをゆっくりと吐き出して、口を開く。
膝の上に置いてある手は古びた鍵を握り締めていた。
「お願い。教えて」
『……教える必要があるようには思えまセンが?』
「どうして? のだめが、真一くんに会いたいと思うのはいけないこと?」
『それはのだめチャンの気持ちでショウ。チアキがそう望んでいる訳じゃナイ』
「…………それは」
のだめチャン、とミルヒーの囁く様な声が聞こえた。
『チアキが、どうして一人で旅立ったかのだめチャンも分かるでしょう? どうして、のだめチャンに別れを告げたのかも』
「分かって、る」
『なら、今のだめチャンがチアキに会いに行くのは果たして吉と出ますカ?』
「………」
『今もチアキは、―――のだめチャンを拒絶するかもしれないのに』
どくん、と心臓が大きく跳ねた。……私は、それを怖れている。
いざ目の前に立って、彼と向き合えるのか。彼が……向き合ってくれるのか。
―――でも。でもね。
「……そんなのは関係ないんデス」
『のだめチャン?』
「のだめが……”私”が会いたいの。だから、会いに行くの!」
一人が良いだなんて、思わない。どうでも良いだなんて、思わない。
俺一人で苦しめばいいとか思ってたら殴り倒してやりますよ。
「そんなくだらない事はいいんです。”私”は私のやりたいようにする。これは私の意志だから。だから、誰にも邪魔はさせまセン。ミルヒーにも、――たとえ、真一くん自身にも。文句は言わせない」
『………』
「だから、教えて。ミルヒー。真一くんは、何処に、いるの?」
『……………やれやれ、』
しばらくの沈黙の後、ミルヒーは苦笑交じりでそう呟いた。
まだ徹底的に攻撃されると思っていた私は思わず怪訝な顔をする。……相手に見えている訳ではないのだけれど。
『やっぱり女性は昔から強いんですかネ。いつも立ち直りが早いのは女性の方だ。……チアキにも、それぐらいの度胸があればいいのに』
「度胸?」
『己が真に望むものに突っ込んでいく度胸』
「……それ、は。のだめには偉い事は言えない、デスけど」
『でしょうネ。この二年、どれだけ私が歯痒かったことか。随分と待たされました』
「………」
『いいでショウ。チアキの居場所を教えます』
「え?」
『その代わり。―――必ず、連れ戻して下サイね? のだめチャン』
「……合点承知、デスよ」
その日のうちにオリバーさんに迎えに来てもらって。
実はパリ郊外にあるミルヒーの別荘の一つに住んでいたことを知って。
案外、車で簡単に行ける近い処に暮らしていたんだと知ると、あっけないと思う所もあった。
待つというオリバーさんに丁寧にお礼を言って、帰ってもらう。
背水の陣、の覚悟だ。
ミルヒーから借りたスペアキーで家の中に入る。やっぱり夜中だからか、物音一つしない。
初めて入ったのに、……あぁ何でだろう。真一くんの気配を感じる。
てっきり寝ている筈だと思った彼は、ベッドの上に座り込んでいた。見開いた瞳が私を射抜く。
ええと。あれ。
顔を見たら、最初に言おうとしてた事があったのに。頭が働かない。ええと、どうしよう。
あぁもう、こーゆー時は。
「やっと見つけましたよー。ほんと、何でこんな田舎にいるんデスか!」
誤魔化しちゃえ。
電気を点けようとする真一くんを止める。明るくなったら、真正面から向かい合わなくちゃいけない。
………何を言ったらいいのか分からない、こんな顔を見られる訳にはいかないし。
珈琲を入れる間、どちらも話す事がなくて黙りこんでいた。
「どうぞ」と差し出された珈琲にお礼を言って受け取る。……流石に牛乳は入ってない。
真一くんが一人で暮らしてた訳だし。万年ブラックの彼のことだ。ある訳がない。
でも、何だかそれを言うのは悔しかったから黙ってブラックのまま飲んだ。
暗闇だからバレないだろうと思って大量に入れた砂糖が、今度は甘すぎて思わず「ぐ、」と唸り声が出てしまう。
―――バレて、ない。よね?
しばらくそのまま珈琲を飲んでいると、やっぱりというか何ていうか、真一くんが口を開いた。
ミルヒーに居場所を教えてもらったことを伝えると、「やっぱり甘い」とか言われた。
……甘い、にしては随分と意地悪な受け答えでしたけど?
でも、それが逆に良かったのかもしれない。何て言うか、こう……ゴンッて目を覚まさせてくれたような気がする。
何だかミルヒーが唐突に格好良く思えて、思わず口元が緩んでしまった。
―――温くなってしまった珈琲をテーブルの上に置く。真一くんが微かに緊張するのが分かった。
でもね、のだめはもっと緊張してるんデスよ。……大体。
大体、誰のためにこんな夜中に無理言って此処まで連れてきてもらっていたと。
大体、誰のせいでのだめがこんなにうじうじ悩まなくちゃいけなかったんだと。
そう思ったら、沸々と怒りが沸いて来た。こんな感情も、久しぶりだったんだと今更ながらに気づく。
すぅ、と息を吸って口を開いた。
「真一くんの馬鹿ぁぁ―――――――――――――――――――ッッッ!!!!!!!!!」
あー、すっきりした。と思ったら、思いもかけず口は鉄砲玉のように止まらなくなった。
それからはあの頃のような怒鳴り合いになって。でも、それが楽しかったのは何故だろう? ライザーさんと結婚でもすればいい、とまで言われて頭の血管の何処かが切れてしまったんだと思う。
気がついていたら、叫んでいた。
「本当に自分でもそう思いますよ! でも、―――でもやっぱり真一くんが好きなんだからしょうがないじゃないデスか!!!!」
それは、私の正直な気持ち。偽りの一切ない、”心”からの想い。
……ねぇ、真一くん。
私の想いは届いていますか? 貴方は今も耳を塞ぎ、瞳を閉じて、膝を抱えたままですか?
ふらり、と差し出した私の手を、彼は無意識のように掴み取った。そのまま腕の中に閉じ込められる。
この温もりを手放したくないと思った。この想いを、もう二度と眠らせたくないと思った。
それが今の私の全て。これからも、今までも――貴方と共に居たいと、願う私の全て。
「何か……お前にそう言って喝入れられるの久しぶりかも」
「当たり前デスよ! 二年間も音信不通になんかなって。鬼指揮者は、のだめの内助の功で成り立ってるんですから」
「………そう、だな。ごめん」
「のだめは、真一くん馬鹿で成り立ってマスから」
「……救いようがないな、ばーか」
あぁ、どうか。
――狂うなら私も一緒に。
そして、どうかその先の一歩を共に踏み出せたなら。