愛している、なんて、そんな陳腐な言葉は今まで好きではなかったのだけれど。
あたらしい太陽 41


 
 最後の一音を奏で終えた『思い出』に、再びオケが包み込む。
 それはこれからの二人を表していて。
 辛いこともあった。苦しいことも、怒鳴り散らして何日も喧嘩してもう駄目なんじゃないかって思うこともあった。
 それでも、お前は俺の傍にいてくれた。

 お前に出会えたことが”運命”なら、俺は跪いて感謝の祈りを捧げるよ。

 きっと、あの頃何度も悩んだり苦しんだのは、こうして今この時間を共に過ごす為のものだったんだよな。今なら分かる。
 お前を手放そうとも思ったよ。もう、無理だって、俺がのだめの――お前の羽根を手折る足枷になってはいけないと、お前の前を去ろうと思ったよ。
 それでも、夢の中で酒に溺れた俺にお前は微笑ってくれた。
 どうしても想いを捨て切れなかった俺が唯一つ、お前に残したもの。
 渡せなかった誕生日プレゼント。
 お前と俺を繋いでくれたらと、年甲斐もなく”運命”なんていうものに賭けてみたりして。
 そして、暗闇の中で泣きながら微笑んでくれたお前がどうしようもなく愛しく思えたんだ。

 手放したくない、手放せない。俺の手で幸せにしたいと―――。

 なぁ、のだめ。
 こんなどうしようもない俺だけど、これからもお前を悲しませてしまうかもしれないけれど、それでもこの想いに後悔や虚構はないから。
 だから、一生傍に居てくれないか? いろよ、ずっと傍に。
 お前が俺に与えてくれた”幸せ”の分、一生をかけてお前に返していきたい。
 そして、その”幸せ”を二人で分かち合いたい。


 「一生に一度」の出会いだと思った。こいつほど惚れる女は、二人といないと。
 お前、良い女になったよ。この俺様が心底惚れ込むくらい。
 ……愛している、なんて、そんな陳腐な言葉は今まで好きではなかったのだけれど。
 それでも聞いてほしい言葉がある。
 
 のだめ。―――恵、愛してるよ。

 ただ、それだけだ。それだけあればいい。
 今この心の中にはそれだけが詰まってる。ただ、お前のことを愛してるんだ。
 この想いが、どうかお前に伝わりますように。
 口下手で、いつも想いを満足に伝えられない俺の代わりに、この愛しい音一つ一つが俺の想いをのだめに伝えてくれますように。

 ………あぁ、嫌だな。もうすぐ終わる。
 俺たちの未来を奏でて、ラプソディは終わる。
 最終部、ピアノは一転して低音へと変わる。管楽器が高らかに歌い上げ、それを弦楽器が支えて。
 再び第一主題を奏で二つの音は溶け合う。
 そこからは、もうまさに”決壊”まで持って行けとでも言うかのようにタクトを振り上げた。
 さぁ、お得意の超絶技巧だ。のだめの表情はこれまでで一番楽しそうになる。
 オケとピアノと俺の呼吸は今まさに一心同体で。
 のだめの細い指は、何者よりも力強くトリルやオクターブ連打を奏であげる。
 ファンファーレの如くティンパニーの連打も相まって――あぁ、真澄、泣きながら打ってんじゃねぇ。
 トランペットの誇り高き呼び声。
 ヴァイオリンの未来の活躍を予期した震え。
 何にも負けない、夢を創り出すピアノの音のキラキラとした粒。
 さぁ向かおう。誰にも、追いつけない未来へ。
 ピアノもオケも、カプリチオーソ・カンタービレの名の下に。
 それが、俺たちの”音楽”だから。

 歌え、気ままに! 誇れ、高らかに!

 オケの盛り上がりに引くのは弦楽器とピアノのカノン。
 そして、ピアノのカデンツァを迎えコーダの後、ラプソディは収束する。
 最後の一音までこの手の中に掴みきって、ようやく閉じていた瞳を開けた。
 今まで気にもしていなかった汗が首筋を伝うのが分かる。

 ―――あぁ、終わった。でも、……俺たちの時間を、全てを伝えきれた。

 なぁ、そうだろう? でも、俺にはまだ”仕事”が残っている。
 下げていた首を上げる。いつもなら、其処で割れんばかりに膨らむ拍手は、


 ―――― 一切、聴こえてはこなかった。



 
君に伝えたい言葉は、一つだけなんだ。
 


 

 
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