―――千秋真一。貴方は、野田恵を心から愛し、慈しみ、そして生涯共に添うことを誓いますか?
「誓います」
―――では、野田恵。貴女は、千秋真一を心から愛し、慈しみ、そして……
「……?」
「…………?」
―――なぁ、やっぱ千秋なんか止めて俺とかにしねぇ? てゆーかやってらんねぇよ!
「え、えぇ?!」
「ちょっ……松田さん、しっかり!」
「………何のための神父役なのかしら」
「あー……懐かしき光景、って感じ」
「いいからさっさと進めろー!!!!」
―――あーもーはいはい、新郎、んなカリカリすんなって。新婦! 千秋好きかー?
「大好きデス!! むきゃ!」
その晴れやかな笑顔に、思わず赤面したのは初々しい新郎だけではなく。
ごほん、と響き渡った清良の咳にふと我に返った会場は、唐突な拍手の嵐に見舞われた。
白いドレスがふわり、と揺れている。
その頭には髪飾りと同じ白い薔薇の生花で作られたヴェール。
マキちゃんが持ってきた爽やかなブーケを手にして。
のだめは、友人たちの輪に囲まれて楽しそうに話をしていた。
それをぼんやりと見つめながら、千秋は先ほど手渡されたシャンパンを口に含む。
堅苦しいやり方よりもこの方が俺達らしいと、会場は立ち会食になっている。
ぽん、と肩に手を置かれ振り返ると何杯目かのシャンパンを持った峰。
「新郎が一人で寂しく何やってんだー?」
「……峰、てめぇ酔ってるだろ」
「祝い事だぜ? 酔わんでどーするよ。のだめは……と、何だ、新郎は新婦取られて自棄酒か?」
「違う」
図星を指された訳ではないが、確かに一因ではあるので千秋は視線をずらす。
苦笑しながらシャンパンを傾ける峰は天井を見上げた。
きらりきらりと光に反射するシャンデリアが眩しい。
「なかなかに良い式だったよ」
「どっかの誰かさんのせいで後半酷かったけどな」
「松田さんのあれは愛嬌。あれくらい寛大になれよ、魔法使い」
「どーせあの人がやるとか言い出して誰も止められなかったのがオチだろ」
「まぁ、そうとも言う」
肩を揺らした峰の後ろから、黒木がやってくる。
その頬が微かに紅潮しているのはやはり酒が入っているからか。それとも、祝い事だからか。
どっちもだろうな。
そう思い、千秋は軽くグラスを上げて挨拶する。
にこ、と微笑んだ黒木も同じように挨拶を返した。
「良い式だったよ」
「ありがとう。黒木くんも、入場のソロ凄かったよ」
「あんな光栄な役をもらえるとはね。恵ちゃんも綺麗だし、役得だね」
「のだめと言えば、あいつも期待を裏切らないよなぁ」
「……あぁ……確かに、婚姻届に名前を書き間違えるのは恵ちゃんらしいね」
「しかも五回だぞ? 五回! てかそれを見越してその分だけ準備してるお前も凄ぇよ」
「…………とりあえず、あいつの名誉のために何も言わないでおく」
「おーおー、新郎は惚気ちゃって」
「それにしても、本当に恵ちゃんには何も伝えてなかったんだね?」
「サプライズにした方が、より有り難味が分かるだろ?」
「「………俺様……!」」
クリスマス明け、峰に「二曲目はこれでお願いしたい」とのだめラプソディの楽譜を渡した。
俺が徹夜で書き加え、のだめにこそ言いはしないがオケの肉付き段階で何度か手直しも加えていた。
その時点でオケには”楽譜の空所”についての質問が出、それはのだめの創作になることを告げた。
「………あ、それから峰」
「んぁ?」
「大事な事、忘れてた」
「……はぁ? それを先に言えよ」
「――頼みが、ある」
「……………………………………は?」
楽譜を渡したときに、このサプライズ企画についての提案をした。
のだめがまだ、のだめラプソディをやることを知らないこと。
のだめにプロポーズをしようと思っていること。
そのために、俺達に関係する人たちに既にチケットを送っていること。
舞台上で演奏後に、皆の前で「のだめと共に生きる」と誓うと彼らに伝えたこと。
そのための、助力を乞いたい、ということ。
最初は口が開きっぱなしだった峰も、徐々に楽しそうな表情になる。
元々お祭り騒ぎが好きな奴だ。
時にはいらん案まで出され、オケ全体も巻き込んで。
そうして、のだめだけが知らされない俺達の”始まりの場所”が創られた。
俺の計画は二つ。
一つは、このコンサートでのだめラプソディを奏でること。
そしてのだめにプロポーズをして、その誓いを皆に聞いてもらうこと。
……まさか本当に簡易結婚式までこいつらが計画をしているとは思わなかったが。
舞台袖で白いドレスに包まれたのだめを見た途端、「それもいいかな」と思ってしまった。
ゲンキンだ。
あいつは「ウェディングドレスみたい」だと言っていたが、まさにそうだ。
プロポーズする時に頭に被せられたのも、今あいつがしているヴェール。
まさに”花嫁”に求婚する羽目になった俺だが、それでもそれが俺達らしい。
かちゃん。とポケットの中で揺れる鍵をそっと掴む。
ふいに浮かんだ笑みに、峰と黒木くんは「?」と首をかしげた。
何でもない、と答えのだめを見遣る。
まさかあいつは求婚する時まで、この鍵が俺のお守りだったことを知らないだろう。
俺とあいつをようやく結んでくれた鍵。
そして、指輪。
結婚指輪とかいろいろあるが、とにかくあいつに求婚する時はあの指輪が良かった。
―――でも、やっぱり一番はあいつの笑顔を見られたことが、何より嬉しい。
その笑顔が今日から俺一人のものになるんだ、と思うと、
格好もつけられない独占欲が心を満たしてしまうのは、やはり割愛。
……それこそ、”俺なりの愛嬌”。ってやつだろ、峰?
「……あーあー、結局結婚しちゃうのね」
後輩指揮者の”面白い彼女”。彼女の第一印象はそんなものだ。
第一、お互いの初対面がいろいろとまずかった。
それでも彼女が奏でる音は本物だ。穢れ無き、透き通った音。
それを見つけられた――否、掴まえられた彼に、密かに嫉妬してしまったのは内緒。
今では彼に勝てているのかでさえ、いまいち分かっていない。
何処か音楽においても、私生活においてもギャンブル感覚が抜けない。
乗るか、反るか。
出るか、引くか。
音楽だけは真剣勝負をしてきたけれど、自らの足を固めるということだけはしてこなかった。
それが恋人とか、愛とか、恋とか。
そーゆー”モノ”にわざと瞳を向けてこなかったようにも思う。
だからこそ、彼らが時に眩しく感じられるんじゃないか、と思わず自己分析。
……でも、その彼らに”俺”なりの存在は忘れられていなかったんだ、と思うと口元が緩む。
何とも情けない表情をしていることだろう。だから、こんな端であいつらを眺めながら酒を飲む。
そんな、――そう、”仲間”に自然に溶け込めている自分が嬉しくて、酒を飲む。
気恥ずかしくて、楽しくて、思わず新婦(と思わせて専ら新郎)をからかってしまったのは、……………愛嬌、だろ?
離れていても繋がる視線。絡まる想い。
共に在ることを疑わない、それが当たり前だと言い切れる鎖すら何て甘い拘束。
まだ俺にはそんな風に、何処までも繋ぎ止めて置きたい女なんていないけど、さ。
それはさながら、終わりを失った彼等が紡ぐ唄。
温かくて、優しくて、何者をも包み込む。
この光景を、一生忘れはしないだろうと柄にもなく本気で思ってしまった。